バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

楽器の未来、音楽の未来

 少し前に、WIRED.jpで未来の楽器というのが話題になっていて、おもしろそうなので見に行ってみた。

 今から200年後の「2214年の楽器」ということは、ドラえもん誕生からおよそ100年後の楽器ということになる。「Future Instruments」のサイトを見ておもしろかったのは「200年後のピアノは」とか「200年後のヴァイオリンは」というような、既存の楽器の進化形について語る人があまりいないことだ。そして、13名の中には音楽関係者に混じって建築家やデザイナーなどもおり、音を鳴らすための道具という概念を越えて、音にまつわる体験を伝える「メディア」として楽器を語る人もいて、当然そこでは現在とは違った音楽のあり方が存在すると仮定されている点が興味深い。たとえば、ウェブデザイナーのMike Guppyは「人間はただ音楽を消費するのではなく、参加するようになる」と言い、建築家の隈研吾は「いつの日か、私たちはすべての音が私たちの周囲に存在すること、そして私たちが生み出した音ではなく、そこから見つけ出した音こそが一番重要なのだということを理解するでしょう」とした上で、ジョン・ケージの「4分33秒」的な音楽観を披露している。
 2214年ともなると、バロック音楽は4世紀以上も昔の音楽ということになる。その時、仮に音楽のあり方が変わっているとするならば、過去の作品はどのように扱われるのだろうか?時とともに研究は進むだろうから、多くの事柄が解明されているに違いない。しかし「演奏」はどうだろう。今と同じように、人間によってリアルな楽器を使って演奏されるのだろうか?それとも、人工知能を持ったシステムによって、「無菌室」的な環境の中でバーチャルに再現されるのだろうか。
 TPPなどで法律が大幅に改正されていなければ、今作曲されたばかりの曲も2214年には著作権が切れていて、「クラシック」と呼ばれる範疇に入っていることだろう。録音や映像などは大量に残されているだろうし、今よりも自由に扱うことができるはずだから、「当時どのような演奏がなされていたのか」という問いには簡単に答えることができそうだ。しかし、それに囚われると、反って音楽の幅を狭めることになりはしないか。そこにオーセンティシティやオーソリティはあるかもしれないけれど、バーンスタインが「全ての音楽は創造だ」という言葉で指摘したようなものはないように思われる。
 過去の音楽は録音や映像を消費することでまかなわれてしまうような時代が来ないことを祈るばかりだ。音楽というのは生命体だからな。