バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 アーノンクールとCMW 2010 - その2 (2010年10月29、30日 サントリーホール)

ニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt, 1929- )とコンツェントゥス・ムジクス(Concentus Musicus Wien)の「最後の来日公演」、その3日目と4日目のコンサートに行ってきました。

ハイドンの「天地創造」BWV232は、2003年に録音されたCDもありますが、このツアーの3ヶ月前となる2010年7月2日(金)、3日(土)と5日(月)に、グラーツで開催された「シュティリアルテ音楽祭(styriarte 2010)」でも演奏された曲目です。

天地創造」には、歌詞に合わせた「当て振り」の要素が強い部分もあり、繊細な弱音から襲いかかるような強奏まで、あらゆる表情が要求されます。コンツェントゥス・ムジクスとシェーンベルク合唱団そしてソリスト達は、アーノンクールの気高い志気のもと、その「当て振り」を外面的な表現に終わらせることなく、作品が持つ本質的な特徴のひとつとして響きの中に織り込んでいました。
アーノンクールの演奏を聴くと、いつも「作品」を感じることができるように思うのです。彼の演奏は音の形を紡ぎ出していくというスタイルなのですが、聴いているうちに「作品自体が語り始める」ように感じられるのです。29、30日の演奏会も同じで、終曲で音楽がポリフォニックに展開し「全ての声」を広がりとして表現しつつも、最後の最後でユニゾンで歌い始められる「Ewigkeit」が突如としてハーモニー(和音)をきらめかせる時、ハイドンがこの作品に込めた神の奇跡が響きを通じて具現化されたような錯覚にとらわれました。
そして、最後の「アーメン」は高らかに宣言されるのではなく、バッハの時と同じように神への感謝の気持ちを込め、胸の内へおさめるように2度唱えられました。このコンセプトは1985年に録音されたウィーン交響楽団とのCDと同じです。20年以上も前にこのCDを聴いた時には本当に驚き、その意味を理解するのに多少の時間が必要でした。
作品を語るのではなく、作品自身が語る演奏。ロ短調ミサに続き、本当に素晴らしいコンサート、いえ体験でした。
最後に気がついたことをいくつかメモしておきます。

第1部と第2部は続けて演奏され、両日とも20分間の休憩を挟んで第3部が演奏されました。また、30日の公演後にはサイン会が催されました。
 

参考リンク