ブリテン「無伴奏チェロ組曲」
トッパンホールでピーター・ウィスペルウェイのリサイタル、曲目はブリテンの「無伴奏チェロ組曲」全曲。(2011.11.15)
- ピーター・ウィスペルウェイ(チェロ)×ベンジャミン・ブリテン=∞
〔TOPPAN HALL〕
http://www.toppanhall.com/concert/detail/201111151900.html
→ 魚拓のキャッシュ
ウィスペルウェイの演奏は、ものすごい集中力でブリテンの作品が内に抱え込んでいるものを表出しようとする。聴き手の意識は、洗濯機の中で洗濯物が絡まっていくかのように、その集中力に巻き込まれながら中心点を目指して飛んでいく。この場合、洗濯機はブリテンの作品、絡まった洗濯物の中心にあるのがブリテンの意識、そしてものすごいパワーで洗濯槽をぶん回しているのがウィスペルウェイということになるんかな。
で、私たちの意識が巻き込まれる先は「がんじがらめ」だから当然動きようがない。もちろん演奏が終わってからも拍手するどころではなく、現実世界から遠のいた自分が宙ぶらりんのまま取り残される。そこで、ふと「この音楽は、誰か(第三者)に対して何かを語りかける音楽なのかな?」と思った。
ブリテンの演奏が終わった後で、アンコールとしてJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」からサラバンドが演奏された。バロック時代のこの作品は、言うまでもなく聴き手に語りかける音楽だ。ウィスペルウェイのチェロから直接聴こえる音だけではなく、トッパンホールの壁という壁から反射してくる音までもが聴衆の絡まった意識を解きほぐすように語りかけてくる。それは、全身にかけられた呪縛を解くまじないのようでもある。
その瞬間、「ブリテンの作品というのは、作曲者であるブリテン自身に語りかける螺旋のような音楽なのではないか」と気がついた。同時に、ブリテンの作品が「お空」に向かって突き抜けていく感じがしない理由もちょっとわかったような気がした。
というようなことを、JR飯田橋駅でつらつらと思い出しながら総武線に飛び乗ったら、電車は帰るべき中野とは逆方向の秋葉原へ向かっていた。
「やべぇ、間違えた!」
かくして、スパイスで彩られた平凡な日常の夜はますます更けていくのであったのだよ。めでたし、めでたし。