バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 シベリウス「交響曲第5番」の第1稿(オリジナル版)

 「北へのあこがれ」というものがある。次に生まれる時はフィンランドで、とか決めちゃってるし。
 その思いが強くなったのは、シベリウスが作曲した「交響曲第5番」の第1稿を聴いてからだ。

 この作品は1915年に第1稿が初演された後、1917年と1919年に改訂が施され、1919年の第3稿が現行版として演奏に供されている。第1稿の唯一の録音であるオスモ・ヴァンスカが指揮するラハティ交響楽団のCDを聴いてみると、改訂が重ねられた理由がなんとなく分かると同時に、「原石」だけが持ちうる、形を整えられる前のごつごつとしたパワーや美しさにも気付かされる。
 しかし、その全てを直感的に理解することは難しい。たとえば、あるモチーフが延々と語り継がれ、「まだ終わんないのかな」とか思っていると、ある瞬間に突然楽章が打ち切られたりする。なんだそれ?フィンランド人の会話って、そんな感じなのか。知らんけど。何かの話題について延々と話をしている最中に、突然誰かが「じゃ!」とか言ってその場で解散する、みたいな。
 閑話休題
 現在、世間で普通に演奏されている「シベ5」は有名なホルンのモチーフで始まる。我々はホルンの響きによって「お!始まるぞ」と居住まいを正し、その後に木管が奏でる鳥の声を聴く。これが、我々の知っている「シベ5」の世界だ。しかし第1稿にはホルンの導入部がない。神秘的な和音が静かに空気を震わせたかと思うと、いきなり鳥が鳴き始める。
 それを最初に聴いた時、あのホルンの導入部というのは、西洋絵画で言うところの「額縁」だな、と思った。つまり、現行版には現実世界と作品が内包している世界とを隔てる境界があるが、第1稿にはその境界がない。おそらく、「交響曲第5番」に描かれているのは、フィンランド人なら誰でも思い描くことのできるフィンランドの風景で、シベリウスフィンランドの聴衆たちは、その世界を生まれたときから共有しているということなのではないか。だから第1稿では「額縁」にはめ込むなんて発想がなかった。
 どうだろ、違うかな?まぁ、違っててもいいや。そんなこともあって、次に生まれる時にはフィンランド人になって、「シベ5」の原風景をシベリウスたちと共有したい、と思ったわけだ。で、何の話だっけ?ああ、そうか。
 「北へのあこがれ」というものがある。次に生まれる時はフィンランドで、とか決めちゃってるし。

シベリウス:交響曲第5番