バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 変わっていくものと、永遠に続いていくもの

 中野の図書館でチャトウィン著『どうして僕はこんなところに』のケヴィン・ヴォランズに関するエッセイを読んでから、1年振りくらいでタワーレコード渋谷店に行った。そして、JR渋谷駅から電力館の方向へ抜ける道も変わったな、と思った。あ、電力館はすでに閉鎖されてるのか。大盛堂書店本店もなくなって何年も経つし、タワーの手前にあったハーゲンダッツカフェもルミネマン渋谷になってた。え、ルミネマンは2009年開店なの?じゃあ、1年振りじゃなくて、2年振りじゃん。
 で、タワレコで何を?「サティアグラハ」のCDをHMVに発注したら、発送が来年になりそうだったので、そっちをキャンセルして渋谷まで買いに。さっそく聴いてみたが、メトロノームに制御されたオーバーダビングの「サティアグラハ」は、メトロポリタン・オペラの「ライブ」な演奏とは随分違う印象を受けた。このCDは1980年の初演から4年後の1984年の2月から3月にかけて録音されているが、そこから聴こえてくるのは、どちらかというと事象を客観的に語るような三人称の音楽。確かにこのオペラには自分の言葉を語る登場人物がいないわけだが、メトの演奏にはどこかに大きな一人称の魂が宿っているような気がしたんだけどな。
 27年という時間が経過し、その間に何かが起こったのだろうか。フィリップ・グラスの音楽が変化したのか?そうではなく我々の方が変化したのか?確かなことは、27年の間にこの作品がバッハやベートーヴェンなどの作品と同じく、歴史の中に自らの地位を明確に定めたということだろう。「永遠の理(ことわり)」を歌うオペラにとって、これほどふさわしいことはないのではないか。
 ふたつ前のエントリーフィリップ・グラス作品撰集を作ったと書いたが、その9番目に置いた「Evening Song」をオペラ全曲盤のものに差し替えてみた。グラスのベスト盤では4分11秒と短く編集されていたが、全曲盤での演奏はアルペジオにのって音楽が自然に流れている。後にくる「What a Wonderful World」の内包している世界とのつながりもいろんな意味で自然になり、「マラノア・ララバイ」で扉を開けた世界が、余韻を残しながらすんなりと閉じられていくようになった。そして、渋谷まで行ったのはそういうことだったのか、と思った。
 変わっていくものと、永遠に続いていくもの。ああ素晴らしきかな、この世界。なんちて。