バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 パーヴォ・ベルグルンド追悼

 今年に入ってまだ30日も経ってないというのに、クラシック界の有名人が何人も鬼籍に入っている。林光、ワイセンベルク別宮貞雄レオンハルト。そして1929年生まれのフィンランドの指揮者、パーヴォ・ベルグルンド(Paavo Allan Engelbert Berglund)も亡くなってしまった。
 ベルグルンドはフィンランド生まれということもあって、シベリウスのディスクとともに語られることが多い。手元には3度目の交響曲全集、つまり1995年から1997年にかけてヨーロッパ室内管弦楽団(Chamber Orchestra of Europe: COE)と録音したものなどがあるけれど、その解説書にとても興味深いことが書かれていた。インタビュアーの「シベリウスオーケストレーションの力量は十分に実用的なものではなかったのでしょうか?」という問いに、ベルグルンドは次のように答えている。

 確かにその通りだと思う。だがその反面、当時はどこのオーケストラも現在ほどの演奏技術がなく、演奏家たちはあまり頼りにならなかった。もっと他の要素もある。たとえばチェロはこの50年の間に大きく変わった。今ではスチール弦を使うようになり、音がいわばストレートになった。[中略] シベリウスのシンフォニーには弦の配分を考え直さなければいけない [=オーケストレーションを変更しなければならない] 部分がたくさんあると思う。

 さらに、シベリウスのスコアにある誤植についても触れており、第7番のシンフォニーについて、ベルグルンドは「印刷譜の誤りを細かく解説したブックレットを作った」のだそうだ。指揮者として、言うべきことを言う姿勢、どこまでも信念を貫いていくところが素晴らしい。
Sibelius: Symphonies 1
 自分は必ずしもベルグルンドのよい聴き手とは言えないが、彼の録音では、シベリウスの時と同じCOEを指揮して2000年5月に録音したブラームス交響曲全集を特に気に入っている。
ブラームス:交響曲全集
 これは室内オーケストラによる「語る」ブラームスなのだな。メロディーを歌いつなげていくのではなく、フレーズを紡ぎ出していくような、そんなブラームス。まるで、グレン・グールドの「間奏曲集」がオーケストレーションされたかのようだ。
 古楽指揮者でもないのに、なぜそんな演奏となったのか?もしかしたら、それはCOEが1997年と1999年にニコラウス・アーノンクールブラームス・ツィクルスを行っていたことと関係があるのかもしれない。

 もともと、COEはアーノンクールとの演奏歴が長く、ベートーヴェンメンデルスゾーンシューマンなどの古典派、ロマン派の作品で彼とともに「語る」音楽を実践していた。1997年と1999年にこれだけ固めてブラームスを演奏していれば、オーケストラのメンバーにはアーノンクールの音楽語法が充分に染みついていたであろう。
 下に埋め込んだのは、2011年のプロムスにおいて、ベルナルト・ハイティンクの指揮でCOEがブラームス交響曲第3番」を演奏したビデオである。フレーズの取り方が明確であること、アーティキュレーションが多用であることなど、アーノンクールとの共演から10年以上経っているとはいえ、彼の理念がオーケストラの根幹を貫いていることがわかる。どうでもいいけど、ブランケスティン女史がコンミスとして率いた時のCOEは最強だな。この演奏に不満を言うとするなら、それは「指揮者としてのアーノンクールが不在である」ということだけだ。

 調べてみたら、ベルグルンドとアーノンクールハイティンクは3人とも1929年生まれだった。ベルグルンドに深い哀悼の意を表するとともに、アーノンクールハイティンクには、一日も長く演奏活動を続けて欲しいと願わざるを得ない。ってゆーか、アーノンクールがCOEとブラームス管弦楽曲全集を録音してくれたら最高なんだけどな。