バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 ドン・キホーテの眠り!?

 くにたちバロックアンサンブル第9回演奏会が迫っていて、今、テレマンドン・キホーテのブルレスク Burlesque de Quixotte」のスコアを見直している。この作品は、ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547-1616)の有名な「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ Don Quijote de la Mancha」中のエピソードに基づいた8曲からなる組曲なのだが、一番最後の「ドン・キホーテの眠り」というのが正直言ってよくわからない。

 躍動感満載のこの音楽は、明らかに「戦い」を思い起こさせるもので、中間部では前半とは異なるローカルな香りが漂う。一方、原題は「Le couché de Quichotte」。「ドン・キホーテの眠り」「Don Quichotte's rest」「Don Quichottes Ruhe」などという訳語が付けられてるが、このタイトルと音楽の性格がどうも一致しない。「ドン・キホーテが夢の中で誰かと戦っている」とか、そんな風に思うようにしているのだけれど、本当のところはどうなのか。
 物語の中で、「本来なら夏は四、五時間の昼寝(シエスタ)をするのを習慣としている」(岩波文庫ドン・キホーテ. 後篇(2)』p.156)と書かれているサンチョ・パンサとは対照的に、ドン・キホーテが眠りにつく場面は多くないように思う。そんな中、ドン・キホーテが珍しく「ゆっくり眠りたい」と言う箇所がある。第5章の最後のところ、つまり最初の旅でトレドの商人にケンカを売り、フルボッコにされて帰宅する場面だ。

 ドン・キホーテは一同から質問ぜめにあったが、何を聞かれても、何か食べさせてほしい、それからゆっくり眠らせてもらいたい、それが何よりも重要なことだから、と言う以外なにも答えようとしはしなかった。
 -- 岩波文庫ドン・キホーテ. 前篇(1)』p.111

 この後、第6章まるまる、つまり「ドン・キホーテの書斎の書物を片端から調べ上げ、処分の可否を検討する」(『「ドン・キホーテ」事典』p.94)間、彼は眠りにつくのである。そして第7章冒頭でベッドから起き上がり、とつぜん大声でわめき散らす。おそらく寝ぼけてということなのだろうが、「ところ構わず突いたり切りつけたりの狂態を演じ」る、というおまけつきで。

 「それ、ここが大事なところですぞ、勇敢この上なき騎士の面々。今こそ、おのおの方の勇壮無比なる腕前の見せどころでござる。さもないと、馬上試合の勝利を都の廷臣どもにさらわれてしまいますぞ。」
  [中略]
 「テュルパン大司教殿、まったくの話、今日の馬上試合の勝利をむざむざと宮廷の騎士たちに渡してしまうのは、いやしくも十二英傑(ドセ・パーレス)を名のるわれらにとっての一大恥辱でござる。なにしろ、これまでの三日間は、われわれ遍歴の騎士組が栄誉をかちえていたのですから。」
 -- 岩波文庫ドン・キホーテ. 前篇(1)』p.128,129

 戦い。それから「遍歴の騎士」と「宮廷の騎士」という対立するふたつの要素。どちらも「ドン・キホーテの眠り」の特徴に通じているのではないかな。この曲は、ドン・キホーテがベッドに横になって眠り込んでる間に見た夢を叙述している、ということなら、まぁ合点がいくような気もする。
 ちなみに、上で引用した場面は岩波少年文庫版では割愛されてる。残念でした。それから、テレマンが「ドン・キホーテ」をセルバンテスの原作通りに読んでいるかどうかはわからない。『「ドン・キホーテ」事典』(行路社, 2005)によると、「ドイツにおける『ドン・キホーテ』受容はまずフランスを経由して本格化した」ようで、「1683年に登場した最初の[ドイツ語による]完訳は、フランスにおける翻訳、改作そして啓蒙主義的な解釈をそのまま受け入れ、結末の変更など恣意的な改作を施されていた」(以上p.264)そうだ。
 テレマンは、いつ、どのようにして「ドン・キホーテ」を知ったのだろう?1683年の完訳本以降、ドイツでは「多くの翻訳、翻案、ドン・キホーテを登場させたバレーや音楽劇などが生まれて」(同)いたらしい。「ドン・キホーテのブルレスク」がフランス語のタイトルを持ち、フランス風序曲から始まるというあたりに、謎を解く鍵があったりするんだろうか。知らないけど。