バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 ムファットのパッサガーリャに聴く「調和の捧げもの」の響き - その3

 承前
 日曜日の午前中、国分寺市立第四小学校というところの音楽室でくにたちバロックアンサンブルの練習があった。会場の向かいには、こんな感じの空間と広い空が広がっていて、休憩中、3階にある音楽室からは夏の雲がよく見えて気持ちよかった。
 



 楽譜の準備もようやく完了し、練習でゲオルク・ムファット(ムッファト)「調和の捧げもの」ソナタ第5番の譜読みをやってみたら、2時間半たっぷりかかった。第1楽章(アルマンダ)24小節、第2楽章(アダージョ)41小節、第3楽章(フーガ)53小節、第4楽章(アダージョ)47小節、第5楽章(パッサガーリャ)325小節となっていて、5つの楽章を合わせると490小節。この時代の器楽合奏曲としては多い方だと思う。ちなみに、バッハのように16分音符がたくさん書かれているわけでもないのにファースト・ヴァイオリンのパート譜は7ページにもなる。で、そのうちの4ページと3/4がパッサガーリャという構成。やっぱ、長いものは長くかかる。
 第1楽章から通してみて、フランス様式とイタリア様式との間で計られているバランスは、よくよく考えられたものであると思った。ムファット自身は作曲の経緯についてこう語っている。

…私はイタリアの深い感情をフランス風の快活さやかわいらしさとともに表現するよう努めた。その際、前者を暗く誇張することも、後者を軽薄な大はしゃぎにすることも望むところではなかった。両者の結合は伯爵閣下の声望高い徳にふさわしい象徴なのである。
 —— ニコラウス・アーノンクール著『古楽とは何か』(音楽之友社, 1997.07)p.248-249より

 確かに2曲あるアダージョは深淵ではあっても深刻ではなく、アルマンダとパッサガーリャは落ち着いたテンポで音楽が展開していく。では、フランスとイタリアが「結合」する箇所はあるのだろうか?
 ある。シャコンヌと呼ぶべき(それは1701年に改作された際、「Ciacona」という名前が付けられたことからも明らかだろう)長大なパッサガーリャで、チャッコーナのシンコペーション・リズムが出現するところがそれだ。下のビデオだと、7分3秒あたりから。

 まずイタリアのチャッコーナを示すシンコペーション・リズムが突然現れ、それに続く7分27秒のところでシャコンヌのテーマがそのリズムに乗って響き渡る。当時、これを聴いた人はその意味するところ、つまり“敵対するものの宥和”を瞬時に理解したに違いない。では、現代に生きる私たちはどうだろうか?残念ながら、アーノンクールが言うように、「ふたつの国の様式が和解できないほど極端な両極化を示したとは、もはや完全には理解できない」というあたりなのではないかな。
 「音楽には国境がない」と言われることがある。本当にそうなのか?そして、ムファットのパッサガーリャの響きから、21世紀に生きる我々が聴きとるべきものは何なのだろう?譜読みをしながら、そんなことをあらためて考えさせられた。来年の演奏会までに答えが見つかるとよいのだけれど。