バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 パーセル「ディドーの嘆き」と「チャコニー」に聴く弦楽の響き

 管楽器専門誌『パイパース』2012年10月号に「ヴィブラート その解釈の歴史」という記事が載っているということだったので読んでみた。5ページにわたる記事にはいくつかの文献や証言を基にして、ルネサンス期から20世紀までの「ヴィブラート」の変遷が語られている。バロック期のヴィブラートは「装飾法の一つとして認識され、ヴィブラートをかけない音を基本としつつも、例外的に音楽的な自然な欲求に基づく場合にのみ用いることが出来る」ときれいにまとめられていた。この時代、クヴァンツの教本に見られるようにソロとリピエーノのテクニックは違うのだけれど、そのあたりはどうなんだろうか。
 20世紀に入ってオーケストラの弦楽セクションがヴィブラートをかけるようになったのは、音楽的な欲求のほかに、大音量化が求められたからかもしれないと密かに思っている。ノン・ヴィブラートでの演奏というのは、思いのほか音量がでないものだ。増大する管楽器の音量とバランスをとるため、また大きな演奏会場での音量を確保するためにリピエーノな弦楽器奏者たちもヴィブラートをかけ始めたということはないのかな。
 来年(2013年)生誕100年を迎える作曲家ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten, 1913-1976)の作品カタログの中にはヘンリー・パーセル「チャコニー(シャコンヌト短調 Chacony Z.730」というのがある。パーセルの4声からなる原曲をモダンな弦楽オーケストラに移し替えた編曲作品。レナード・スラトキン指揮のロンドン・フィルの演奏だとこんな響き。

 ブリテンがイギリス室内管弦楽団を指揮した自作自演では、弱音の方へ向かってさらに美しく、強い音はより決然とした表情を示している。ヴィブラートはモダン・オーケストラの流儀で普通にかかっており、特にソフトな響きでの震える音が音楽に広がりを与えているのが興味深い。録音会場となったスネイプ・モールティングスでは、どんな感じで聴こえてくるのだろう。
弦楽合奏によるイギリス音楽(紙ジャケット仕様)



 一方、今年(2012年)生誕130年を迎えている指揮者レオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski, 1882-1977)がモダンな弦楽オーケストラのために編曲した「ディドーの嘆き」を聴いていると、オーケストラというものが辿ってきた歴史的な道のりをその中に見いだせるような気がしてくる。パーセルの音楽は、ヴィブラートに彩られた弦楽の響きの根源として、時空を越えた遙か彼方から一条の光を放っているのではないかな。