オーケストラ・リベラ・クラシカのC.P.E.バッハ・コンサート
オーケストラ・リベラ・クラシカでカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach, 1714-1788)だけのコンサートがあるというので行ってきた。演奏は非常に誠実で、タンゲンテン・フリューゲルの音色も聴くことのできる素晴らしく、また貴重な機会であった。
- オーケストラ・リベラ・クラシカ 第30回定期演奏会カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ|公演カレンダー|上野学園 石橋メモリアルホール
http://www.ishibashimemorial.com/calendar/concert/201210/000665.html
→ 魚拓のキャッシュ
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プログラムの中でも「弦楽のためのシンフォニア Wq.182」の演奏を聴きながら、ふとC.P.E.バッハの作品というのは「完成形」として想定された演奏の「型」を打ち破ろうとするときに、その本性を露わにするのではないかと思った。ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵(Gottfried van Swieten, 1733-1803)は「演奏に関するいっさいの技術的困難を度外視して」作曲するようC.P.E.バッハに依頼し、作曲家だけではなく、演奏者に対してもギリギリのところを求めた。彼の作品は穏やかな口調の中に、思わぬ転調、突然のフォルテやピアノ、耳に心地よいとは言えない不協和音、畳み掛けるようなヴァイオリンの重音、疾走する16分音符などがちりばめられ、ここぞとばかりに演奏者を手こずらせる。C.P.E.バッハの作品は、ビシッと整えられ完成された演奏ではなく、一旦できあがったその型を打ち破ろうとする「狂気」の中に聴くべかものがあるのではないか。
で、その「狂気」は美しいと言えるものなのか?あるいは、その狂気と正気とがせめぎ合う中に「美」というものが存在するのか?そんなようなことを考えさせられたのであるよ。「きれいはきたない、きたないはきれい」。
- C.P.E. Bach: Cello concerto a minor, 1st movement, Peter Bruns / cello, Akademie für Alte Musik
http://www.youtube.com/watch?v=6ETG_uY2zrI