バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 能「隅田川」とブリテン「カーリュー・リヴァー」 (2012.10.28 東京芸術大学奏楽堂)

 能「隅田川」とベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten, 1913-1976)「カーリュー・リヴァー Curlew River」の2本立て。どちらも初めて実演に接するもので、「カーリュー・リヴァー」の演出以外はとてもよかった。

 プログラムに「隅田川」シテ狂女役関根知孝氏による「能『隅田川』の『狂女』と面(おもて)」という文章が掲載されていて、なるほどその通りだと思った。

 「隅田川」の曲のあらゆる文言に、美辞麗句はありません。すべてが、正直な心情の吐露です。舞台効果を挙げるための大げさな言い回しも、借りて来た表現もありません。付け加えられた言葉ではなく、そぎ落とした言葉です。
 --- プログラム p.7より

 人の心というのは複雑なもので、ひとことで表現することは難しい。いや、ストレートに表現することさえ困難なこともある。それを極限まで言葉をそぎ落として「正直な心情の吐露」を行う。いや、そぎ落としているのは言葉だけではなく仕草や音楽もそうだろう。だからこそ、「南無阿弥陀仏」と唱える場面で聴こえてくる子供の声に感動したのかもしれない。地唄で聴こえてくる大人の男声の倍音のようにして、どこからともなくかすかに響く子供の声は、まるで仏像の表面を飾る金箔のようであった。
 「隅田川」の後、30分の休憩を挟んで上演された「カーリュー・リヴァー」は、まさにブリテンらしい音楽が素晴らしかった。オリジナルのサブタイトルは「教会寓意劇」ではあるが、自分の耳には、時に笙のように鳴り響くオルガンを含む7名の器楽に付き添われた声楽作品であるかのように聴こえてきた。
 ただ「隅田川」の後でやるなら、演出の上で、両者に共通する「芯」のようなものを一本通した方がよかったかもしれない。もしくは、初演の舞台を再現するとか。ともかく、あのゴミ袋の山こそ「そぎ落とす」べきものだったのでは?
 それはともかく、昨年の「無伴奏チェロ組曲」全曲演奏会に引き続き、よいものを聴いたということだけは確かだと思った。生誕100年となる来年は、どんなブリテンに巡り会うことができるだろうか。誰か「シンフォニア・ダ・レクイエム」を芸大図書館に所蔵されている手稿譜を使って演奏してくれないかな。