バシッといこうぜぃ blog

バロック音楽や弦楽合奏曲を中心にいろいろ。

 ムファットの1682年

 「くにたちバロックアンサンブル第10回演奏会」で演奏するゲオルク・ムファット(ムッファト)(Georg Muffat, 1653-1704)「調和の捧げもの Armonico Tributo」は1682年、つまり彼が29歳の時にザルツブルクで出版された作品である。この1682年というのは、「ザルツブルク大司教区創設1100年」が祝われた年。ラインハルト・ゲーベルが「ザルツブルク大聖堂ミサ曲」について書いた解説によると、ローマで修行を積んでいたムファットはその祝典のために呼び戻されたらしい。出版された「音楽の捧げもの」のパート譜の表紙には、大司教マックス・ガンドルフの名前が刻まれている。ガンドルフというのは、ハインリヒ・ビーバーが彼の代表作「ロザリオのソナタ」を献呈した人物である。

   

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 そして、かつてビーバーの作だと言われた53声部の「ザルツブルク大聖堂ミサ曲」は、まさに1682年にザルツブルク大聖堂で初演された作品。複数のグループに分けられた53声部という壮大な規模から言っても、1682年がどれほどめでたい年だったかがわかる。

 ところで、「調和の捧げもの」には、ムファットを修行のためにイタリアに送り出した大司教への感謝の気持ちが籠められている。アーノンクールの著書から「調和の捧げもの」の序文を再度引用してみよう。

…私はイタリアの深い感情をフランス風の快活さやかわいらしさとともに表現するよう努めた。その際、前者を暗く誇張することも、後者を軽薄な大はしゃぎにすることも望むところではなかった。両者の結合は伯爵閣下の声望高い徳にふさわしい象徴なのである。
 —— ニコラウス・アーノンクール著『古楽とは何か』(音楽之友社, 1997.07)p.248-249より

 ムファットはザルツブルクがこれまでになく祝祭の気分に沸く中、「調和の捧げもの」でフランスとイタリアによる混合様式の口火を切った。我々は、その曲集の最後に置かれた巨大なパッサガーリャで、どのように演奏会を閉じるべきなのか。もう少し考えてみるとするかのぉ。